2014年4月11日
ゲストハウスそれぞれ
奉還町にも春がやってきた。奥まった路地の先にある、小さな公園に植わった桜の木々もきれいなピンク色に染まり、真新しい制服に身を包んだ学生らの列が商店街を抜けていく。青春18切符のシーズンがやってきた3月半ばごろから、我がゲストハウスにも少しずつお客さんが増えてきた。それは卒業旅行であったり、新生活の準備であったり、有給消化であったり。1、2月の静かな日々から打って変わって賑やかになった日々は、まるで春の芽吹きのようであった。奉還町にも春がやってきたのだ。
昔の人曰く、春とは、出会いと別れの季節であるという。
その緩やかな余波はうちの方にもやってきていて、入学だとか就職だとか、何かしら人生の岐路に立つ人たちが大勢泊まりにきてくれた。それぞれに色々な事情を抱えて、それぞれに色々な動機を持って岡山に来た人たちだった。そんな人たちに会うたび、そして別れるたび、ああ春なのだなあと実感させられた。各々が背負うバックパックやキャリーバックの重さは、各々の人生の重みを想起させた。
ゲストハウスというものをやっていると、様々な人たちに出会う。本当に様々な人たちだ。夜、ビールなどを飲みながら話を聞いていると、ふとそういう人たちの重さに触れることがある。会ったばかりの人間に、それぞれの持つ過去や事情をお客さんたちが語り始める瞬間がある。
ここから少し込み入った話になっていくのだけど、まあどうぞお付き合いいただきたい。
ゲストハウスでは、お客さんと触れ合う時間が長い。飲食店などのお店では、お客さんと店側のスタッフが過ごす時間は1、2時間がせいぜいだろう。だがゲストハウスはそうはいかない。基本的には一晩付きっきりである。そしてたまにお客さんに付き合ってビールなどを飲むことがあると、その人の人となりとか、大げさに言えば人生のようなものに触れてしまう瞬間がある。見ず知らずの人たちが、こうまで一緒の時間を過ごすのはとても特殊なことのように思える。過ごす時間が長くなると、パブリックスペースとプライベートスペースの境界線が曖昧になってしまうものなのか。ゲストハウスは他と比べて、客と主人の関係性が濃密な場所であるのは間違いないと思う。
ついこの間、「ゲストハウススタッフとお客さんの関係性って、従兄弟くらいが適当かもしれない」というような鋭い指摘が野口さんから飛び出した。この指摘にはハッとさせられた。たまに会う親戚同士のような、客と主人の関係性。こんな不思議な(少なくとも僕にとって)関係性がここでは生まれる。
お客さんとの関係について考え始めると、果てにはゲストハウスとは何か、というようなアイデンティティの話になってしまう。なってしまうので、これ以上はよそう。取り留めのない思考は春に似つかわしくないではないか。
今日もお客さんがやってくる。恐らく色々な理由を抱えてやってくるのだろう。春。奉還町にも春がやってきて、もう通りすぎようとしている。眼前には、春の残滓なのか、にわかに散り始めた無数の桜の花びらがただあるのみだった。