2014年12月16日

映画の上映会についての雑感

朝、自転車を漕いでいたら、霜が降りていることに気が付いた。踏切を渡るそばから見える線路の枕木もうっすらと白くなり、畑の脇の水たまりは遠目からでも氷が張っていることが分かった。初霜、初氷。冬だ。とりいくぐるはついにストーブを出した、オレンジ色の光がストーブの周りを暖かく照らし、ストーブの上に置かれたヤカンからは蒸気がモクモクと立ち上る。辺りはとたん暖かくなった。すると面白いように自然と人も集まってくる。昨年も目にした冬の光景。冬は空気が澄んでいるし、とても良い。


先日、12月14日は私(明石)が参加している『西口路地裏シネマ』というイベントの最終上映日であった。そして7日の夜にはとりいくぐるの1階ラウンジでも『SAVE THE CLUB NOON』という作品の上映が行われた。3つの作品を3つの(映画館ではない)会場で上映するのがこのイベントの趣旨なのだけど、これはとりいくぐるのブログなので、今回は7日の上映についてのみ綴ることとするので、他作品、他の会場についてはここでは割愛させていただく。この『SAVE THE CLUB NOON』という作品は私の一存で企画を通したもので、私の意向がずいぶんと反映された結果、とりいくぐるを会場にこの作品の上映が決まったという経緯がある。
この作品は私がどうしても見たかったものだ。どういった作品かということは公式サイトより引用させていただくことで省略する。

映画『SAVE THE CLUB NOON』は大阪の老舗クラブ「NOON」が2012年4月に風営法違反により摘発された事を受けて起こったイベント『SAVE THE NOON』のライブと出演ミュージシャンらへのインタビューを記録し、表現者の視点から風営法について語ったドキュメンタリーです。


私もイベントを行う施設(ハコ)を運営する身として、文化と法律という関係性を描いたこの映画を一度見てみたいという思いがあった、というのは真面目すぎる建前だが、そういうこととは決して遠くなく身近な問題として、私にとってある種切迫感のようなものは少なからずあった。文化、それはもっと生活に寄り添ってあるものなのではないかという私なりの仮説があり、それはどの程度自由が与えられて、また制限されれば、自立するのか。この映画自体もまた文化であり、また映画館ではない場所で映画が上映される意味というものを、改めて考えさせられる。我々のように普通の人たち(つまりプロのイベンターではない人々)の手に様々なイベントが渡り始めている昨今、ゲストハウスの一角の一つのスペースで、自分の見たいと思う作品が上映されるということは、すごいことだ。文化はどうだとか法律はこうあるべきとか、そんな大それたことを言うつもりはないし言わない、私はそんな性分ではない。文化を少し噛み砕いた言葉に言い換えて、遊びと言おう。遊びを私は周りに欲していた。しかし遊ぶ環境が無いのならば、自分の手で作ればいいのではないかと思った。その発想自体はとても自然なことなのではないだろうか。
ここでまた、私の個人的な思いとして、上映会の前にして明石個人のFacebookに投稿された文章からまた引用する。


僕は岡山で暮らしていくと決めた時、もっと身近に遊びが欲しいと思った。遊びという言葉を聞いて一番に思い浮かんだのは、映画を見ることだった。しばらくして、見たい映画を岡山で見るためには、少し苦労することを学んだ。でもそうして見られた時に、小さな頃に感じたあのワクワクを何度も感じられるんだと気が付いた。これで岡山という地方でも、暮らしていけるんだと安心した。
今回、僕はこの上映会を企画したのは、こういう思いがあったからである。恐らく人それぞれ遊びの形があって、たまたま僕は映画を見ることにそれを見い出し、見たい映画を岡山で上映したいと思った。『SAVE THE CLUB NOON』を見てみたいと思った僕は、映画製作スタッフの方々とメールのやりとりをして快諾を頂き、今回岡山で上映させられることができた。

遊びと仕事を混同するなと各方面から怒られるかもしれないが、この企画にはこんな思いが根底にあった。生活と遊びはとても近い存在で、車輪の両輪のような関係性なのではないか。そして遊ぶことが自発的に生まれるということは、私にとってだけでなく街にとって、街に住む人たちにとってとても豊かなことなのではないかと思うのだ。それが私にとっては映画であったというだけのことだ。少し個人的な話に走りすぎてしまっているので、今回はこの辺りに留めておこう。


結びになってしまったが、一つお詫びと感謝を意を表したい。とりいくぐるはもちろん映画館ではないので、プロジェクターの画質やスクリーンの歪み、また無視できない寒さや座席の狭さなど、上映環境は決して良いとはいえない中での上映であり、色々と不便さ苦痛を強いてしまったのではないかと懸念している。それでもなお、お越しくださった方々には最大限の感謝を申し上げたい。