2014年3月24日

街と記憶の話

今日は記憶の話をしようと思います。

なぜこんなテーマを設定するのかというと、実は先日、うちからほど近いところにあった『はぎわら食堂』が閉店されたことがきっかけになっている。

ある人は『はぎわら』と呼び、ある人は『はぎ食』と呼び、またある人は『あの大盛りのすごいお店』と呼ぶ。そう、大盛りで評判の食堂だった。『とりいくぐる』のある奉還町4丁目では、お腹のすかせた学生たち、育ち盛りの男子たちにとって、大盛りご飯が食べられる街、という認識が強い。それは、上述の『はぎわら食堂』と『黒川食堂』のおかげで、僕もその二枚看板の街というイメージが根強い。そしてこの街で働き始めて気がついたのは、この街にある食堂・レストラン、カフェの多くは、基本的に量が多く、男子たちの心強い味方であるということだ。

しかし今回はその大盛りの話ではない。

この街は、見る人が見れば面白いが、それ以外の人たちにとってはそんなことはなく、むしろゴミゴミしていて、みすぼらしい街という風に見えるらしい。実際、あるネット上で、「奉還町はもっと再開発をし、マンションやオフィスビルやデパートを誘致すべきだ」といった論調がある。僕からすればそれはとても受け入れられないことだけど、そんな考えを持つ人が実際にいる。路地は狭く、ところどころ空き家で、その空き家の多くは人手が入っていないため、今にも崩れそうだったりもする。非常に効率が悪く、見栄えもよくない。一般の人たちには近寄りがたい雰囲気があるのもまた事実。それを一言「味がある」で片付けるのは乱暴かもしれない。

それでも僕はこの街を肯定したい。それは単に好きだからであるけど、もっと言えば、色んな人たちの記憶が染み付いているからだ。

小さいころから僕は奉還町へは遊びに来ていて、一番最初の記憶は、父の自転車の後ろに乗って、商店街まで穴子を買いに行ったというものだ。その時の、アーケードの雰囲気、軒先に商品の並んだ台がせり出し、賑やかだった奉還町。それは少しデフォルメされた記憶かもしれないが、僕の頭の中にはそんな奉還町が広がっている。

少し前置きが長くなった。

お店や宿は、そこでたくさんの記憶を生産する。記憶は誰かの言葉を借りて、色々なストーリーを紡ぐ。紡がれたストーリーは、その街に魅力を与える。僕はそんな風に考えている。

なので僕らは、元々お肉屋さんだった建物を改装して、ゲストハウスや新しいお店をオープンさせたのだけど、建物の至る所に昔の面影を残したままにしていて、お肉屋さん時代の冷蔵庫、看板に鏡、古い建具だってそのまま使ってある。鳥居が存在する理由も、来訪者になるべく伝えるようにしている。昔の記憶は少しずつ形を変えて、現代に生き続けることができる。

何十年もした後、奉還町はどうなっているだろう。

もしかしたら、マンションやオフィスビルやデパートだらけかもしれない。それもおそらく正しい。正しいけども、街に染み付いた色んな人の記憶が残っていてくれたら嬉しい。そんな奉還町の方がきっと面白いはずだ。『はぎわら食堂』のように姿を消すものもあるだろう。しかし奉還町の記憶を後世に伝えられ、おもしろい街でいられるかどうかは、僕らにかかっているような気がしている。